“IMM JAPANのPSGについて”




    2014年8月恵日
   米子復活教会/鳥取復活教会/牧師:佐藤勝徳

≪初めに≫
米国の金山昌秀ドクターが、2013年5月に松江の地で主から“IMM JAPAN”を立ち上げるように命じられましたので、金山ドクターは2013年7月に米国でNPOとして認可を受けIMM JAPANをスタートさせられました。
”IMM JAPAN”は、日本人と世界の人々が急激に多く救われる事を求めて、全能の神様によって起こされた信徒によるリバイバル運動です。そのリバイバルは、山陰に始めに来ますが、日本数カ所でほぼ同時に起きる事が金山ドクターに示されています。
リバイバルの為に主から選ばれる器の条件は、1.自らへりくだること、2.100%献身し明け渡しの出来る事、3.主を恐れる事です。それには年齢、性別などは関係ありません。しかし終わりの時は日本で女性と子どもがもっと用いられる事が金山ドクターに示されています。キリスト者の謙遜、100%の献身と明け渡し、主を恐れる事が無ければ、後、どれほど熱心に祈っても2000年たっても日本にリバイバルは訪れないかも知れません。これまでのリバイバルを求める日本の多くのキリスト者の祈りと、これまでの日本の歴史においてキリシタンを初め、迫害を受けて殉教していった日本の多くの殉教者の血を神様はご存知です。その答えとして神様は、IMM JAPANを起こされ、先ず主に対して謙遜になるキリスト者、主に100%献身し明け渡すキリスト者、主を深く恐れるキリスト者を起こし整え、日本にこれまでにない大リバイバルをもたらそうとされている事を金山ドクターに示されたのです。感謝しましょう。

1, PSGについて
では、そのリバイバルはどのようにして起こされていくのでしょうか。それは2人から3人或いは4人ほどの祈りの小さなグループから始められていきます。5人になれば二つに主が分けて行かれます。その小さなグループを英語の頭文字をとってPSGと呼びます。Pはプレイヤー(祈る人)のP、Sはスモール(小さい)のS、Gは(グループ)のGです。そのPSGが命である聖霊によって細胞のように分裂し、多くの家庭に広がって行くことを通して、リバイバルが進められていきます。PSGは人の知恵や賢さや努力と言う人工的な方法で増え広がるのでなく、あくまでも命の聖霊によって増殖をしていきます。信じましょう!
PSGでは、原則として賛美もささげません。(主がよしとされる時主を心から賛美する事は非常に大切です)。又、聖書も開いて共に学ぶという事もしません。するのは、最初に祈って、90分間の黙想です。黙想とは、聖書の言葉の意味を諭して頂くために考える事ではありません。(勿論、主がよしとされる時に聖霊の諭しを求めて聖書の御言葉を黙想の内に考える事は非常に大切です)。又、問題解決の為に考察する事でもありません。(主が良しとされる時に問題解決を祈り求めながら黙想の内に考察をする事も大切な事です)。PSGの黙想は、自分の心配事や問題解決など、自分自身を含めて全てを肉である自分で何とかしようとする事をストップし、全てを生ける主イエス様に投げ出して、愛に満ち溢れた生ける主イエス様ご自身との個人的な出会いと触れ合いを求めて、主が触れて下さることを待つのです。正に「静まってわたしこそ神である事を知れ」(詩篇46:1)の主の命令に対する実践行動です。「静まって」のヘブル語原語は“ハルプゥー”ですが、それは“ルプー”(沈む,弱る,垂れる,捨てる)の命令形ですので直訳すると、「沈め、弱れ、垂れろ、捨てろ」となります。自分自身を主の前に直訳では「沈め、弱らせ、垂れさせ、捨てる」事を日本語訳では「静まって」(口語訳)、「やめよ」(新改訳)、「力を捨てよ」(新共同訳)と翻訳されています。PSGの黙想は、座禅やヨガなどや他の宗教が教える精神統一や無我の境地を求める事でなく、愛に満ち溢れた生ける主の愛の懐に自分自身を沈めていくことであり、主の前に自分を弱くする事であり、主の前に自分の首を垂れる事であり、主に自分を捨てる事、つまり主を深く信頼して自分自身と問題等の全てを丸投げする事だと言えます。その時に、主が優しく触れて下さるのです。必要ならば、今抱えている問題解決の為に必要な語りかけが主から与えられる事もあります。それが、聖書の御言葉で示されたり、幻で示されたり、普通の言葉で示されたり、色々です。主との楽しい個人的な交わりの時として90分間黙想することによって、主によって霊の耳が鋭くされ主の細き御声を聴き分ける事が出来るようになっていきます。また、主によって心の目も開かれて、より深く神様のみ顔を仰ぐようになります。個人的に差はありますが、黙想を始めると最初から何かを示される時もあれば、雑念が多く生じたり、または何もない時もありますが、とにかくすべてを主の御手に丸投げして、感謝と賛美の心を持ちながら、ひたすら黙って静まって主を待ち望んでいますと、色々ありますが、多くの場合は60分が過ぎたころから、思いの中に主が臨んで下さり、心に触れて下さるようになります。ある人は何もない時もあります。それでも安心して下さい。主はその人がご自分との個人的な触れ合いを求めて黙想された事を大変喜んでおられ、約束通りに近付いておられますので、忍耐をもって続けると、必ず何らかの形で主がその人に触れて下さり、「あ、主だ」と気づくようになります。聖書にはっきりと次のように約束されています。「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。」(ヤコブ4:8)。信じましょう! もちろん途中で自分の今抱えている問題の解決の為に祈るように導かれていると思えば祈っても何ら問題はありません。このPSG運動は誠に聖書の主の教えにぴったりと叶った非常に素晴らしい運動です。
聖書66巻は、愛に満ち溢れた生ける主イエス様との生きた交わり、コミュニケーションの為に与えられている事を主御自身が教えておられます。聖書の御言葉を学び黙想する事が、毎日の生活で愛に満ち溢れた生きる主イエス様との個人的な触れ合いを実際に体験する為、という目的の為になされなければそれは本当に聖書を学んでいる事にならないでしょう。イエス様の警告の言葉に耳を傾けましょう。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(ヨハネ5:39~40)。PSGに参加していると、ユダヤ人が陥った「霊感によって聖書を啓示された生ける神様との生きた個人的な交わりの中に自分を置かない」という過ちから守られ、又、「聖書に留まって、聖書から宗教的信念や哲学や観念や原則を学びとってそこに真面目に生き、ただ真面目にキリスト教という宗教に生きる宗教人(道徳主義者、律法主義者)として生きる」という過ちから守られて行くでしょう。
PSGに集っているメンバーの平安や喜びの感情の度合いには個性があり、様々ですので、テンションが高い人もあれば低い人もあります。平安や喜びの感情の度合いやテンションの高低に気を囚われないようにしましょう。大事なのは、平安と冷静な心です。また、経験豊かな人や牧師・伝道者の中に、IMM JAPANの事が正しく理解できていない方々がおられ、PSG運動を否定的に消極的に語られる時がありますが、惑わされないようにしましょう。どんな人であろうと人は全て相対的な存在ですので、大切なのは相対的な人の言葉でなく、「誤りなき神の言葉である聖書」の絶対の約束の御言葉を幼子のように素直に堅く信じている事です。神様の絶対の言葉である聖書によって人の言葉は裁かれるのです。聖書こそ審判者です。よって私達はIMM JAPANの信徒によるリバイバル運動がいつも聖書の教えから外れないで、聖書に沿って進められていくように祈りましょう。もし、聖書の教えから外れているのではないかと、疑問に思う事があれば、その時は勇気をもってその疑問を指導者やスタッフに申しあげましょう。日本人の弱さとして、聖書よりも指導者やスタッフを信頼しすぎるという事や、疑問を述べる事において嫌われてしまうかも知れないと恐れて、或いは気を悪くさせるのではないかと恐れて、遠慮してしまう事があります。実は、それが悪魔につけ込む機会を与える事になりますので、注意をしましょう。又、逆に、聖霊の導きと聖書の教えに沿って語り教え指導をされている指導者やスタッフを肉の目で軽く見てしまう弱さが日本人のキリスト者にあります。聖霊の導きと聖書の教えに沿って指導して下さる指導者やスタッフは、尊い神様より立てられた大変尊い存在であるという聖書の教えに沿って霊の目で見ることが出来るように祈りましょう。その為に、知恵と啓示の霊である聖霊による諭しを求めながら、聖書を個人的に通読する努力や、聖書を正しくに解釈する為に黙想したり、聖書についての学びも必要となります。聖霊はその為にも全知全能の神として個人個人の必要に応じて適切な導きをされますので安心しましょう。
PSGによって、聖霊の細き御声を聴き分けて、家庭や職場や学校など生活の場で実際に主の細き御声に聞き従って家事育児や仕事をする人は、神様の豊かな祝福や奇跡の御業を多く体験するようになっていきます。その生きた証を通して多くの人が生けるキリストに関心を持つようになり、リバイバルの波が起こされていきます。
 しかし、悪魔の妨害もあります。又、人間の肉の妨害もあります。しか し、心配はいりません。主が全ての妨害から守って下さり、この運動を御自身の偉大な全能のお力で力強く進めていかれます。主が始められたこの運動は何ものも妨げる事は出来ないのです。「わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう」。(イザヤ43:13)。リバイバルは起こすのでなく、リバイバルの波に乗る事だと、確か米国のサルドバック教会のリックウォレン牧師が教えていたと思いますが、今、金山ドクターを通して主のリバイバルの波が私たちの教会や山陰の地域に日本に押し寄せようとしていますので、PSGはそのリバイバルの波に乗る為の主からの重要な方法なのです。
 このIMM JAPANのリバイバル運動は主が起こされた信徒の手による信徒の運動です。私達教職者は、その運動を邪魔しないように、陰で祈り、必要ならばアドバイスをする役割があります。この運動は決して教会を分裂させたりするものではありません。御霊の細き御声を聴き分ける鋭い霊の耳を持つ人は、キリストの様に神様に忠実になり、そのような人を通して教会の徳は高められていくのです。IMM JAPANのPSG運動は、地域の教会形成と成長にも主が用いられると信じています。私達全てのキリスト者は、主の御再臨が目の前に近づいている事とその備えとして、全てのキリスト者がキリストの如き人生に生きる事に召されている事に聖霊によって目覚める必要があります。主は金山ドクターを通して特に「主の御再臨の近きこと」と「主の如き人生を生きる事」、その二つの重要な真理に目覚める事を日本の全てのキリスト者に求めておられると思っています。
「目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう」(詩篇108:3)。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)
「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」(ローマ8:29)
「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」
Ⅰペテロ2:21)
「 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」(Ⅰコリント11:1)
「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(ミカ6:6)

2,PSGに参加する人は福音と生ける主のお働きで霊性が整えられていく
  この運動が健全に進められて行く為に、PSGで人の批判や陰口などは福音の力で慎まなければなりません。証の分かち合いの時、人の証を妬んだり羨ましく思わず、共に喜び感謝することが求められます。その為に、古い人から生じる妬みや高ぶりやつぶやき愛の無い裁きの感情など様々な邪悪な感情が生じれば、すでにそれらは十字架で過ぎ去ったものですので、即否定して十字架に委ね安んじましょう。同時に、キリストにあってどんな人も喜んで愛せる神の徳で満ち満ちた新しい人、喜びや悲しみを共有できる神の愛の正義の善なる性質を魂に植え込まれた新しい人にされている事に安んじましょう。又、全てのキリスト者が教団教派を超え、聖なる公同の教会の一員として主にあって完全に一つに結ばれてキリストの体を構成する各器官として、既に相互扶助の心をお互いに持つ者とされている事に安んじましょう。そこには、上下はありません。役割や賜物が違っても、尊さにおいて指導者やスタッフが上で他のメンバーが下と言う関係はありません。一般信徒だからリバイバルに用いられないという事はありません。神様の「キリストにあって」の救いの御業である赦しの福音と勝利の福音(解放の福音)に安んじる時に、古い人から解放され御霊の実として共に愛の実践の中に生かされている自分を傍らに見るように体験して行くのです。
「キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。」(コロサイ2:9~10) 
「わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。」
(ローマ6:6)
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12:27)

3, PSGを妨害するもの
 このIMM JAPANのPSG運動を進めて行くときに、前述していますが四つの妨害がある事が幻によって主から示されました。一つは悪魔による妨害です。もう一つは肉による妨害です。三つ目ラジオやテレビです。四つ目は仕事や奉仕です。私はその四つの妨害をいずれもPSGの黙想の時に主からの次の幻によって教えられました。
①悪魔の妨害の幻は、航行している船に天からヘリコプターのようなもので紐につりさげられた大きな物体がどーんとぶつかって来て、航行を妨げようとしました。②肉の妨害の幻は、生のハンバーグが心に飛び込んでくるというものでした。③ラジオやテレビの幻はいくらスイッチを切っても切れない不思議なラジオでした。④四つ目の仕事や奉仕についての幻は、教会でPSGをしているにも関わらず、教会の姉妹方が自分の仕事をしているというものでした。悪魔と肉の幻についてはすぐにその意味を解しました。大空はサタンと悪霊どもが働いている空間です。大空から妨害があった事はサタンと悪霊ども妨害を意味していると解しました。次にハンバーグはキリスト者の肉を意味していると解しました。主は私が理解するのに少し時間をかけられましたが、90分のPSGの終わりころに主は説明をはじめられました。スイッチを切っても切って切れない不思議なラジオは、ラジオやテレビから流れ出てくる音楽やニュースの聞き過ぎ、テレビの見過ぎを意味しています。幻で、私たちは教会でPSGをもっていました。しかし小型のラジオの音がPSGを邪魔しているので、スイッチを切ったり、コンセントを抜いたり必死に音を消そうとするのですが、何しても音を消すことが出来ず困ってしまいました。PSGに一緒に参加していた二人の姉妹方がいたのですが、誰も一緒になってラジオの音を消そうとしません。自分達のしている事に忙しくしていました。私は、その動画を幻ではっきりと見させて頂いたのですが、最初は意味がさっぱり分かりませんので、時間も大分たったので黙想を止めようとしましたが、なぜか続けるように導かれました。その内に、主から幻の解説が始まったのです。
 悪魔の妨害は神の武具を全て身に着ける事によって防ぐことが出来ます。肉は私たち自身ですので、私たち自身が妨害しないように気を付ける必要があります。肉には二つの面があります。一つは生まれながらの罪の性質をもった古い人か生じる邪悪な感情です(間違ったプライドも含みます。間違ったプライドが預言者エレミヤが指摘する、私達の心を万物に勝って偽りものとして根源の一つです)。その邪悪な感情は、古い人がキリスト共に十字架で死んだという事実に基づき、十字架に委ねる事によって対処できます。もう一つの肉は、人の知恵を優先したり、祈って神様の導きを求めないで自分の知恵や努力で奉仕をする事です。それは別名頑固な魂と呼びます。また、肥大した強い魂とも呼びます。90分も座ってただ主を待ち望んでじーっと黙想することに頑固な魂は抵抗するでしょう。その頑固な魂は主によって砕かれて柔らかくなる必要があります。PSGは主によって頑固な魂が砕かれた人を通して進められていきます。自分の魂が主によって砕かれた柔らかくなることを求める人は、主にその事を祈って下さり、頑固な魂を主に委ねて下さい。主が必ず砕いて柔らかくして下さるのです。
 ラジオやテレビの電波は誰も止める事ができません。いつも流れています。それが幻でいくらラジオの音を切ろうとしても切れなった事の意味です。ラジオの耳に聞こえない音である電波そのものを切る事は出来ませんが、PSGに参加する人は、自分の意志でラジオやテレビのスイッチを切って、ニュースの聞き過ぎ、音楽の聞き過ぎ、ドラマの見過ぎから自分を守る事が出来ます。ラジオやテレビでPSGに参加する事や個人的に黙想する時をもつ事が邪魔されないように主に祈って助けを求めましょう。約30年も前の事だったと思いますが、中国の教会の指導者の書いた本の中に、映画の見過ぎは霊性をだめにすると警告をしていた事を思い出します。今は、映画以外に、テレビ、ラジオCD、DVD、ゲームなど、私達からあっという間に大切な時間を奪い、時間を浪費させるものが満ち溢れています。私もこれまで、その中国の指導者の警告を無視して、どれだけそのような娯楽や快楽を求めて大切な主の時間を浪費してきたか計り知れません。主はその事を私に改めて警告をされたものと思います。
 仕事や奉仕を真面目に行う事は非常に重要ですが、それ以上に重要な事が一週間に一度PSGによって黙想する事です。(どうしても仕事や都合で参加できない時は個人的に黙想する習慣身に着ける事です)。仕事や奉仕に囚われないようにするには、PSGにおける黙想がキリスト者にとって最も重要な価値ある事だという真理に目が開かれ、心を新たにして頂く事です。つまり、価値観を新しくして頂けるように主の助けを求める事です。それがパウロがローマ書12章2節で教えている御言葉の意味です。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」。人は自分にとって価値あると思う事に時間を犠牲にすることを惜しまない者として創造されています。神様の御心に沿った価値観を持てるように祈りましょう。また、仕事や都合でPSGに参加できない時は、個人的に黙想する時を持てるように主の助けを求めましょう。

4, 御霊の細き御声とその御声を聞き分ける霊の耳に関する聖書の教え
  PSGに参加する人は、以下の御言葉を心に留め、出来れば暗記をして下さい。聖書の御言葉の約束を幼子のように素直に信じる事が必要です。
1) まず、主の羊であるキリスト者は主の声を聴き分ける霊の耳(心の感性)が与えられている事を信じきる事です。主の御声は油である聖霊によって語られますので、パウロは御霊によって歩めと命じています。又、ヨハネは油が教えるので誰からも教えられる必要はないと教えています。以下の聖句は主の御声についての重要な約束の聖句ですのでできれば暗記しましょう。
「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネ10:27)
「あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教える・・」(Ⅰヨハネ2:27)
2) 次に、主はどのような事に関して御声をかけ導きを与えられるのでしょうか。それは生活の全ての事に関してなされます。パウロが、「御霊によって歩め」と命じた「歩め」という事は、生活をしなさいという事です。御霊によって生活しなさいと言う事は、生活の全てで御霊の導きと御声がかけられる事を意味しています。御霊によって歩むという事は聖書の原則に従って歩むことも含まれながらもそれ以上のものです。聖書の教えは原則を教えていますが、今日の具体的な問題に関して御霊は聖書の原則としての教えと共に、生活の全ての事で具体的な指示をされるのです。私は今の新会堂建設に関して土地の購入の為に「競売物件を見に行くように」と主の細き御声を聴き、それに従った結果不思議な事が起こりました。以下の聖句は生活の全てにおいて御霊の導きがある事を教える重要な聖句です。
「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。」(詩篇37:5~6)
3) 御霊の御声とはどのような声でしょうか。大きく心に響く御声でしょうか。それとも『ふと感じる』という程度なのでしょうか。多くの場合は「ふと思ったことを御霊の御声と感じる」程度です。なぜなら、御霊は私達の思いや感性に働き御声をかけられますので、「ふと思ったことを、これは主だ」と感じさせるのです。「これは主だ」感じた事を信仰をもって御霊の声として受け止めるのが主から与えられている霊の耳なのです。パウロの伝道は「御霊に感じて」なされています。パウロも御霊の御声を心の耳である霊的感性によって感じるという事で聞き分けていたのです。御霊は心に感じるようにさせて御声を聴かせるので、昔から御霊の御声を「細き御声」と呼ばれてきました。以下の聖句は御霊の細き御声について教える重要な聖句ですので出来れば暗記しましょう。
「彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。」(イザヤ42:2-3)
「火の後に静かな細い声が聞えた。」(列王19:12)
「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。」(イザヤ30:21)
「これらの事があった後、パウロは御霊に感じて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行く決心をした。そして言った、「わたしは、そこに行ったのち、ぜひローマをも見なければならない。」8使徒19:21」。
「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。」(ローマ8:6)
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。」(ピリピ2:13―14)
4) 御霊の細き御声は現実の問題に対して、どのような内容の言葉をもって語って下さるのでしょうか。多くは、聖書の言葉の語り直しです。聖書66巻は神の霊感によって書かれた誤りなき神の言葉ですが成文化された文字です。成文化された文字である神様の御言葉は、教理が間違っているかどうか、或いは、「御霊の細き御声」だと信じ判断する声が本当に神様の御心に沿ったものかを正しく見極めるための基準ではありますが、今生きて語っておられる方の生の「御霊の細き御声」ではありません。昔、預言者や聖書の著者に語られた昔の言葉です。しかし、御霊の細き御声として、昔語られた御言葉を御霊が使って現実の今の一人ひとりにヒットした生の実際の声として語り直されます。ギリシャ語では言葉全般を指す言葉として「ロゴス」がありますが、生の声としての言葉には「レーマ」も使用されていると教えられています。しかし、御霊の細き御声は成文化された聖書の言葉の語り直しのレーマだけでなく、実際に具体的な指示も多くなされます。又、幻などもあります。前述していますが、当教会の新会堂建築の際に、私はレーマと実際的な導きの御霊の細き生の御声を何度も聴き、それに従いました。それによって、わずかな聖徒の集まりですが、新会堂建設を主は実現に至らせて下さったと信じています。
聖書には、その時その時に具体的な行動を命じる神の言葉を聞き、その御声に従った聖徒の証が多く教えられています。以下は、私達が神の口から出る生の御声に聞き従って生きる事の大切さを教える重要な聖句ですので、暗記しましょう。因みに新約聖書でレーマは68回使用され、ロゴスは330回使用されています(Jバイバルより)。
※以下の聖句で言葉(ことば)と翻訳されているギリシャ語はいずれも「レーマ」が使用されています。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:4)
「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(ローマ10:17)
「キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、・・」(エペソ5:26)
※以下の聖句は、御霊の細き御声は、幻や具体的な指示もある事を教えています。
「ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、彼に懇願するのであった。」(使徒16:9)
「しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。」(使徒8:26)
「わたしたちは、弟子たちを捜し出して、そこに七日間泊まった。ところが彼らは、御霊の示しを受けて、エルサレムには上って行かないようにと、しきりにパウロに注意した。」(使徒21:4)
5) 私たちの思いには、御霊の細き御声以外に、人の肉の思いとサタンの偽りの声がありますので、それを見分ける霊的能力が必要となります。その能力は謙遜と正直により、平安と冷静な心で以下の4つのチェック項目によって身につける事が出来ます。
 ① 良心的(道徳的・倫理的に良いか)であるかどうか。(良心的でなければ、聖霊が良心を使ってストップをかけます)
「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」(使徒24:6)
 ② 聖書的であるかどうか (どのように自分の判断が正しいと思っても、聖書の原則やみ教えに合わなければ聖霊はストップをかけます)。PSGに参加していると、自分の知恵に頼らず、啓示の霊である聖霊によって御言葉の真理を正しく諭して頂く事にも意欲が与えられ、聖書の通読と学び、御言葉の黙想にも関心を持つようになります。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)
 ③ 心に平安があるかどうか。(良心的で聖書的だと判断しても、もし、心に平安が無ければ聖霊はストップをかけます)「御霊による思いは、いのちと平安です。」(ローマ8:6)
④ 道が開かれているかどうか。(良心的で聖書的で平安があっても環境の道が閉じられていれば聖霊はストップをかけます)。
「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」(黙示録3:8)
※以上のチェック項目を即実行出来る霊的能力が身に着くように祈りましょう。しかし、どうしても御心を判断出来ない時は、教会の中で信頼できる聖徒や指導者に相談するように導かれているかも知れないので、祈って主の導きを求めてみましょう。しかし人の意見は参考に留め、最終的には自分と主との関係で判断しましょう。
6) 御霊の細き御声に忠実に生きるキリスト者に約束されている事は、聖霊がその人の心の奥底から聖霊が川のように
  流れ出て行くことです。聖霊は何のために川のように流れ出て行くのでしょう。それは、そのキリスト者が生活をして
いる家庭や職場や地域社会や教会が神様の祝福と癒しに与り、霊的リバイバルが起こされる為です。
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38)
「私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」   (使徒5:32)
「そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。」(Ⅰコリント12:3)

≪終わりに≫
 PSGに参加する人は、パウロが指摘する「キリストにある幼子」と呼ばれる「肉の人」から、「キリストにある成人」へと引き上げら、自分自身について誰からも判断される人にならない霊の人へと引き上げられていきます。パウロは霊の人の定義を次のように教えています。
「しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない」(Ⅰコリント2:15)  
以上のパウロの「霊の人の定義」をヨハネは「油の教えに従う人」と教えています。「あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(Ⅰヨハネ2:27)
 霊の人として聖書を黙想しなければ、間違った解釈に導かれる可能性が出てきます。聖書を律法主義的に道徳主義的に解釈する可能性が生じます。また、霊の人として引き上げられなければ、PSGも人の肉や悪魔の妨害等にくじけてしまう事でしょう。霊の人になる道は、赦しの福音と共に、パウロの説いているキリストにあって共に十字架に死に、共に甦り、共に天の座に着いたという、罪と律法からの解放を教える勝利の福音(解放の福音)を聖霊によって諭して頂く以外に道はありません。勝利の福音、解放の福音に指導者やスタッフが単なる知的理解でなく、聖霊によって目が開かれていなければ、盲人が盲人を導くというあやまちに陥るのです。PSGに参加する人々が、勝利の福音・解放の福音を聖霊によって諭して頂けるように祈ります。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」
(詩篇46:10)

神様が米国の金山昌秀ドクターに啓示され、初めに特に多くの女性と子どもを通して山陰地方と数箇所の地域に、そこから全日本に、日本から世界にリバイバルを起こすと約束された約束を信じて、又、世界で五本の指に数えらえる程、日本が多くの宣教師を世界に派遣する国になる事を信じて、十字架の十全の福音の喜びに満たされ、聖霊の導きに従ってPSGに積極的に参加し共に進めて行きましょう!  
祝福あれ! 目覚めよ! 西から東から北から南から来たれリバイバル! 

Rise up Japan!
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